ダイエーが仙台店を除き東北地方から撤退するというニュースを聞いた時こんな事を考えていました。
昔、自分が子供だった頃は街には商店街が形成されていて賑わっていた記憶。
家の向かいには靴屋さんや映画館・銭湯があり、同じ並びにはスポーツ用品店や喫茶店・スーパー・パチンコ屋。
それぞれが近隣で生活する人にとって身近な場所。
しかし中学生になる頃には次々とお店が無くなっていきました。
大型スーパーやコンビニに客が流れ、商店街という形を形成できなくなったとき街は大きな変貌を遂げていたのです。
昼間に家にいない人達の街
学生や若いサラリーマン・OLが住む街は、生活の場所ではなく夜帰って寝るための場所になっていました。
大手資本の進出で影響を受けたのは何も管理人が住んでいた街だけではありません。
仙台の中心商店街でも昔から商いを続けていた老舗が店舗を賃貸に回すようになったのはここ10年ほどの流れだと思います。
消費者の買い物傾向も大きく変わり、買い物は週末に車で郊外の大型ショッピングモールで済ますと言うスタイルが顕著になっています。
しかし、これから高齢化社会が進むとすると果たして本当にそのスタイルが続くのかと疑問に思います。
まして、大型ショッピングモールが過当競争に入り、今回のダイエーのように次々に撤退するような事態が起きたら?
「お店がなくなって不便になった」とは、前職時代に私が良く聞いた言葉ですが、そのお店をなくしたのは他ならぬ消費者自身なのだということを忘れてはいけません。
身近にあった商店がなくなっていく。そのお店を間接的に無くしたスーパーもなくなる。
後に残ったのは、年をとって車を運転できない高齢者が住む街。
子供の頃走って1分のところにある八百屋さんや魚屋さんにおつかいに行きました。
でも、そのお店はもうありません。
ダイエーが残したものはペンペン草一本生えない暮らしずらい街の跡
これからはコンビニはその役割を果たすと言う事(生鮮品も置くようになる)を言われていますが本当に代わりになるのか疑問です。
コメント
私も最近良く考えてます
大型チェーン店は言ってしまえば外敵なんですよね・・・
いい加減自分達の街を守る事を考えないといけないですね
>いい加減自分達の街を守る事を考えないといけないですね
その通りだと思うのだけど、そこに住んでいる人の感覚以上に人口の移り変わりは激しいんですよ。
そこに暮らし続ける人と、そうでない人が共有できるコミュニティを形成する事が大事だと思うのです。
昔は商店街がその役割を果たしていたのですがね。
「何も残らなかった」という事実だけが残ったのですね。私が住んでいる地区にも商店街はありません。あるのは家庭と会社を往復するための車が走る大きな幹線道路と,大手スーパー。スーパーの周辺以外では,日中でも人が歩いていません。車だけが異様に多くて人が全くいない。引っ越してきた時の第一印象でした。。。
街の中での生活にはベットタウンや田舎では気がつかない変化があるんですね。
街中で生活した事のない私は最近ようやくその事を知りました。
大型店の去った後、何も残らない。
その大型店が去って、何も無くて不自由している人が居る。方法はわかりませんが、別の方向から見ると余白が出来たようにも見えますね。
管理人さんの視点は大変勉強になります。
改革とか革命というのは、良いものだけとは限らないと思うのです。
でもね。
起こってしまった事を嘆いても仕方がないので前を向いて歩くしかないのかな?と。
新しいビジネスがそこに生まれる可能性だってありますから。